私はこれまで、努力すればした分だけ「報われる」人生を送ってきました。
小さい頃から絵を描くことが大好きで、幼稚園の年中さんから絵画教室に通い始め、絵画コンクールで何度も賞を取りました。
勉強も中学受験を目指して小学校五年生から塾に通い、結局受験はせずに公立の学校へ進学したものの、学校内でも塾内でもトップの成績を維持。
大学から第二外国語として始めた中国語については、その大学の文学部中国文学コースの生徒をも凌駕する熱量で勉強し、大学三年生の後期に中国語検定準一級を取るほどの実力をつけました。
そんなふうに色々とがんばってきた私ですが、大学院時代に台湾へ交換留学に行き、一年間の留学を経ていざ帰国となったタイミングで初めて双極性障害の症状が出て、がんばることができなくなってしまいました。
厳密には「エネルギーが満ち溢れて過活動になる時期(躁状態)」と「気力も体力も枯渇して塞ぎ込んでしまう時期(鬱状態)」とそのどちらでもない時期に分かれるのですが、当時は二か月ほどの躁状態の後に鬱状態が十か月以上続き、とても苦しい思いをしました。
それまで「がんばって成果をあげること」だけで自分を肯定してきた私は、
「がんばらなければ結果が出せない」
「結果が出せない自分はダメな人間だ」
「がんばっていない自分には価値がない」
と、本気で思っていました。
「がんばらなきゃダメだ!何か他人より優れた能力を身につけなければ!」
そんな思いとは裏腹に、どうしても自分の思いどおりにがんばれない……。
授業中に教授が話している内容が頭に入ってこない。そればかりか、論文や本を読んでいても視線を文字の上で滑らせることしかできず、まともに学業に励めない。
ある時、毎回「教授が指定する論文を読んで書評を書く」という課題が出される授業で、論文のあらすじをまとめるだけで精一杯だった私は、その授業の担当教授から生徒全員の前で「なんで大学院に在籍してるの?」と問われ、悔しくて、恥ずかしくて、情けなくて、もういっそ全てを投げ出してしまいたい!!!……そんな気持ちになりました。
「こんなダメ人間、生きてる価値なんかない」
そんな思いがますます強くなっていく。
でも同時に、心の底には「生きたい」という気持ちもあったんです。
折に触れて湧き上がるネガティブな感情を、どうにか自分なりに処理して、前向きに生きたい。
私のその気持ちを優しく、でもどっしりと支えてくれるような言葉を紡いでくれる人はいないだろうか……。
そんな時に出合ったのが、心屋仁之助さんの本でした。
初めて購入した心屋さんの本は、確か『いいかげんに、生きる』だったと思います。雪のなか露天風呂に浸かるニホンザルが印象的な表紙の一冊です。
それから現在に至るまで、心屋さんの本はたくさん読んできました。
鬱状態でしんどい時も、そうでない時も、心屋さんの言葉に何度も励まされてきました。
心屋さんの本に共通する私個人的な印象としては、「ゆるーく」「わがままに」「がんばらない」「好きなことだけする」といったフレーズが挙げられます。
かつての私の思想とは正反対の言葉たちです。でも、がんばれずに疲弊していた当時の私にとっては、救いの言葉でした。
「がんばること」が当たり前で、そうすることでしか自分を認められなかった私が、ある日突然躓いて「がんばれなくなった」のは、きっと必然だったのだと、心屋さんの本を読んで思いました。
私は「がんばっているから」価値があるのではない。
私はがんばらなくても、怠けていても、「私が私である」というだけで、価値がある。
できないことがあっても、弱みがあっても、私は「すばらしい」。
そして、「私はすばらしい」と思える時も、そんなふうには思えない時も、私はすばらしい「ということにする」。
「私はすばらしい」ということにしておくと、そんなすばらしい自分に相応しい出来事がたくさんやってくるのだそうです。
そんなすてきな世界を信じてみたい。
そう思って、心屋さんの本を何度も読み返しています。
心屋さんの本はどれも読者に「幸せな心のあり方」を説いています。
恋愛指南やお金に関するものもあり、色んな切り口から「幸せな心のあり方とはどんなものか」「そうあるためにはどうしたらいいか」を教えてくれます。
分かりやすい言葉遣いで、「クスッ」と笑えたり「なるほど!」と納得できたりする例を交えながら書かれているので、とても読みやすいです。
「がんばることに疲れた……」
「今の生き方に疑問を抱き始めた」
「自分らしく生きるって、具体的にはどうしたらいいんだろう」
そんなふうに思っている方におすすめです。