じんしゃん小姐の日常

日々のよしなしごとを綴るブログ。

生活に「潤い」を与えるスピリチュアル

皆さんは「スピリチュアル(精神世界)」の世界に興味がありますか?

科学が発展した現代では、スピリチュアルに対して「怪しい」とか「騙されそう」といった良くないイメージを持つ人が多いのではないかと思います。

もちろん世の中には、スピリチュアルや宗教を騙って人を騙そうとしたり、ひいては人々に危害を加えようとする人や団体が、確かに存在します。

ですが、この世界に科学では証明できない現象があることも確かです。

私個人の意見として、スピリチュアルな理論を自分なりに都合よく取り入れることは、自分の人生を華やかに彩ったり、いつまで経っても解決できない悩みに一筋の光を灯したりすることに繋がると思っています。

私は星座占いが好きです。なぜなら星は、太陽や月のように、現実的に私たちの生活に確たる影響を及ぼしているからです。

星座占いでは、生年月日、そして生まれた時間によって、太陽星座と月星座というものが決まっています。

太陽星座は自身が社会的に発揮する能力、月星座は自分の本来の資質を示します。

私の太陽星座は獅子座、月星座は双子座です(診断するサイトによって誤差があります)。

獅子座は意志が強く、向上心に溢れた星座。自分の感情や感動を表現し、他人に伝える才能にも恵まれた星座です。

一方双子座は、新しいもの好きで、言葉で表現して他人に伝えることを望む星座です。

このことから、私は向上心を持って新しいことに挑戦し続け、自分の心の動きを言葉で他人に伝える、という使命を担っているといえます。

正直、私自身「確かにそうかも!」と思うところがあります(笑)。

私は最近、新しいものに触れるということを怠っていました。

そのせいか、なんだか生活に張り合いを感じないなあ、と思っていたのです。

星座占い、バカにはできません。

自分の生活にもう少し「潤い」がほしいなあと思ったら、スピリチュアルを取り入れるのも一つの手かもしれませんよ。

「子どもを産まないならバリキャリに」?そんなことはない!

前回の記事若林理央さんの『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』という本について紹介しました。

その記事では触れなかったのですが、実はこの本のなかでとても気になった部分があるんです。

それは、若林さんが取材した七人の女性のうち「子どもを産まない」選択をした人たちが、漏れなく「バリキャリ」になる道を選んでいる、ということです。

そして若林さんご本人もまた「キャリアウーマン(バリキャリ)」を目指していたといいます。

「子どもを産む」という選択に疑問を持っていたり、子どもがいる未来を想像できなかったりする女性たちがこぞって「バリキャリ」を目標とするという事実は、私にとって見過ごせない事態です。

私は、「子どもを産まない」あるいは「子どもを産めない」人たちが、必ずしも仕事に打ち込まなければならないなんて制限はないと思っています。

一人で生きていくと決めた人も、パートナーはいるけれど子どもを持たないと決めた人も、子どもを授かることが叶わなかった人も、自分のやりたいように、自由に生きていいと思うんです。

仕事をすることが嫌いなら、最低限食べていける程度に、程々に仕事をすればいい。

仕事が好きなら、やりたいだけやればいい。

「子育て or 仕事」という構図が、そもそもおかしいのです。

それはお子さんのいらっしゃるお母さまにとっても同じことだと思います。

家庭か仕事のどちらかを取らなければいけないだなんて、そんな決まりはありません。

自分の裁量で、その時々の状況に応じて、柔軟にやっていけばいいんです。

「〇〇ならこうあるべき」なんて言説は幻想です。

「あるべき姿」なんてものはありません。

一番大切なことは、「自分がどうありたいか」、ただそれだけです。

自分がどうありたいか、早いうちからビジョンが見えている人もいれば、そうでない人もいます。

最初から見えていなくても、ゆっくり、じっくり、考えていけばいいんです。

自分と向き合うこと、自分の本心を探ることは、人によっては難しく、根気の要る作業かもしれません。

それでも、最期に自分の人生を振り返って「生き切った!」と満足して逝くために、とことん自分を見つめてほしい。

今、自分を見失っている人たちに、そう伝えたい。

私も現在進行形で自分自身との対話をしています。

きっとそれは、一度きりで終わるものではなく、生涯続けていくものです。

私は常に、自分と向き合って、自分の本音に沿って生きたい。そう思っています。

周囲の人たちから、色々な、たくさんの言葉を投げかけられるでしょう。

社会の言説に惑わされることもあるでしょう。

それでも、自分と向き合うことを続けていれば、道に迷うことはない。そう思うのです。

若林理央さんの『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』を読んで

私は今年、三十歳を迎えました。パートナーはいますが、子どもはいません。

パートナーは、子どもがいれば嬉しいけれど、子どもがいるかいないかはさほど重要ではない、と言っています。

私は今のところ子どもを産むつもりはありません。今の生活がとても幸せですし、満足しているからです。もし子どもができたら今のような生活が送れなくなるのではないかと思うと、子どもを産むことに対して積極的にはなれません。

このままいけば、私たちは「子どものいない人生」を歩むことになるでしょう。

本当にそれでいいのだろうか?後悔はしないだろうか?

出産適齢期には上限があります。その上限に近づきつつある今、私の心には若干の迷いが生じています。

そんな私に道筋を示してくれるような本はないだろうか。

そう思って手に取ったのが、若林理央さんの『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』(旬報社)です。

「産む・産まない・産めない」をテーマとしたこの本には、筆者である若林さんご自身の体験談のほか、七名の女性に対するインタビュー、作家の佐々木ののかさんとの対談が収録されています。

若林さんは本書で「産まない人生を生きると決めた」と書かれていますが、それでも一度は「産んだほうが良いのではないか」と迷った時期もあるといいます。

また、若林さんのインタビューを受けた女性たちも、

不妊治療を経て子どもを持つことを諦めた」

「今は産みたくないと考えているけれど、今後考えが変われば産む選択をする可能性もある」

「子どもがいて子どもに対する愛情もあるが、もし妊娠する前に戻れるなら子どもを産みたくない」

など、それぞれに事情があり、さまざまな思いを抱えています。

女性性や結婚、出産、子育てに対する社会における言説や周囲の人たちからの何気ない一言が、彼女たちに少なからず影響を与えているのです。

近年性別による格差や偏見、蔑視といったものは少なくなりつつあるとはいえ、いまだに「男らしい」とか「女子力」といった言葉が使われるように、「男(女)ならこうあるべき」という理想像のようなものが世間一般に流通しているような気がします。

「女性なら結婚したら家庭に入るべき」という考えはさすがにもう古臭いと言われるかもしれませんが、それでも「結婚」と「妊娠・出産・子育て」をセットで考えている人は少なくありません。

結婚したら周囲の人から「じゃあ次は子どもだね」などと言われることはざらでしょう。両親や祖父母から孫(ひ孫)をせがまれるという話もよく耳にします。

子どもを産んだ人に「どうして子どもを産んだの?」と尋ねる人は少ないのに、子どもを産んでいない人に「どうして子どもを産まないの?」と訊く人はあまりにも多い。

子どもを産む選択をする人、子どもを産まない選択をする人、そもそもその選択肢自体がなかった人、どの道を進んでも尊重されるべきであり、どれかの道を他人や社会に強制される筋合いなんてそもそもないのです。

子どもを産んでも、産まなくても、産めなくても、「ああすればよかった」「もっとこうだったらよかったのに」と思うことはあるでしょう。

そんな思いを抱えながら、それでも私たちは、人生の道のりを歩んでいくのです。

だからせめて、どの道を歩むことになっても、生きやすい社会であってほしい。そんな社会を作っていきたい。

この本を読んで、私はそんなふうに思いました。

子どもを産まないと決めた人だけでなく、今現在子どもを持とうかどうか悩んでいる人、子どもはいるけれど子どもがいない人の気持ちを知りたいという人などにもおすすめの本です。

少食も行き過ぎると不健康

ここ数年で食欲がだいぶ落ち、最近ではいよいよ生命の危機すらも感じるほどに食べられなくなってきています。

一日を通して食べられる量は、大手牛丼チェーンの牛丼並盛一杯程度。カロリーにしておよそ700kcalくらいです。

農林水産省のホームページによれば、活動量の少ない成人女性の必要エネルギー量は1400~2000kcalだそうなので、私の普段の摂取カロリーはその最低値のさらに半分程度ということになります。

晩酌をするので、食べ物のほかにお酒でもカロリーを摂取しますが、それを足しても1400kcalには届きません。

食欲は生命力の象徴だと私は考えています。一般的には食べすぎの方が問題視されがちですが、食べなさすぎこそ命の危険に直結します。

ある程度量が食べられないと、普段の食事が楽しめないだけでなく、会食や旅行などのイベントでも美味しい食事が堪能できません。

昔はあんなに食を楽しめていたのに……なんだか悲しくなってしまいます。

食べたくないのではなく、食べたいのに食べられない。満腹中枢が食べ始めてすぐに働きだし、大して食べてもいないのにお腹いっぱいになってしまうイメージです。それ自体は別に悪いことではないのですが、何しろ早々に満腹になってしまううえ、なかなか空腹にもならないので、一日の中で食べられる量が極端に少ないんですよね。

一度に食べられる量が限られているため、せめて食事の回数だけでも増やせればよいのですが、問題はいかに空腹を促すか……。

やはり運動するのが一番ですかね。運動はあんまり好きじゃないんですけど、背に腹は代えられません。

普段の家事で立ち仕事を増やすところから始め、徐々に一日の活動量を増やしていきたいと思います。

旅行ガイドブック、あなたは読む派?読まない派?

皆さんは海外旅行に行く際、ガイドブックを読む派ですか?読まない派ですか?

私は読んだり読まなかったりとまちまちですが、どちらもまた違った旅行の楽しみ方ができるように思います。

ガイドブックを読んでから行く場合、その国の基礎知識や基本的なマナーを学んだうえで現地入りするため、大きな失敗は少ないでしょう。その代わり、事前にある程度の情報を得ているため、大きなインパクトは得られないかもしれません。

反対にガイドブックを読まずに行く場合、まっさらかつ新鮮な気持ちで目の前の光景や出来事に向き合えると思います。ただ、何らかのトラブルに見舞われる危険性はやや高くなりそうです。

どちらがいいとも悪いとも言えません。人それぞれ好みがあるとは思いますが、いずれにせよ旅行は常に身の安全を確保しつつ楽しみたいですね。

他人に媚びずに、私らしく生きたい

私は昔から、常に「正しくあろう」としてきたような気がします。

名前に付けられた「真」という字のとおり、「真実」を、「正しさ」を、いつも追い求めてきた。

そして今もなお、できる限り正しくあろうとしている。

だからつい、「正論」ばかり言ってしまう。

でも、正論は時に他人を傷つけます。

鋭い刃のように、相手の心を切ってしまう。

だから私はこれまで、できるだけ本音を言わないように努めてきました。

誰かを傷つけたくないから。反対に、誰かに傷つけられたくないから。

他人にされたくないことは、他人にしない。

そういう教えを守って生きてきたんです。

でも最近、人と関わるうえで、「誰かを傷つけたくない」「自分も傷つきたくない」なんて傲慢だ、と思うようになりました。

人との関わりのなかでは、傷つけることも、傷つくこともある。

でも、それを許したり、許されたりすることで、本当の心の繋がりができるのではないか。

そう思うようになりました。

私ができるだけ正しくあろうと努めることも、正論ばかり言ってしまうことも、それは私の個性。

それを分かって、それでもそばにいてくれる人と、仲良くすればいい。

無理に「みんな」に溶け込もうと無理しなくても、大丈夫。

私は私のままでいい。

そんなふうに思う今日この頃です。

他人との比較で苦しむ人への処方箋。香山リカさんの『比べずにはいられない症候群』

今の学校教育がどのような方針のもと行われているかは把握していませんが、少なくとも私の学生時代は「競争社会」だったように思います。

塾ではテストの度に成績上位者の名前と得点が記載された紙が廊下の壁に張り出され、学校でも友人たちと定期テストの得点を競い合う。

それが当たり前の光景でした。

そんな日常がもともとの負けず嫌いな性格と相俟って、私は大人になってからも常に誰かと自分を比較して、時に優越感に浸ったり、またある時にはひどく落ち込んだりしていました。

ある時からそんなふうに他人と自分を比べて落ち込むことは不毛だと思うようになり、比較グセを直すために参考になりそうな本を片っ端から読んでみたものの、自分的にしっくりくる本はなかなか見つかりませんでした。

そうこうしているうちにも、誰かのSNSの投稿を見て羨ましく思ったり、趣味仲間との実力の差を感じて悔しさを抱いたりと、繰り返される比較地獄……

「このままではいけない!」

そう思って、藁にも縋る思いで再度Amazonで検索をかけてみました。

そこで見つけた、香山リカさんの『比べずにはいられない症候群』。

今日この本が届き、手に取って開いてから、あまりにも面白くて休憩も挟まずに一気に読了してしまいました。

精神科医の香山さんは、大学でも教鞭を振るい、メディアにも多数出演するなど、さまざまな現場で活躍されている女性です。

そんな香山さんが、仕事や私生活における実体験をもとに、「比べ合うことが具体的にどのように無意味なのか」をまざまざと書き綴っていらっしゃるのが、この本です。

例えば、結婚している人としていない人、子どもがいる人といない人、人付き合いが得意な人と苦手な人、お金がある人とない人……などなど、比較の「土俵」は挙げればきりがありませんが、なかでも私たちが特に気にしがちな事柄について、筆者なりの見解が軽快かつ大胆な筆致で書かれています。

また、筆者の後書きから引用された帯文には、このように書かれています。

“「うらやましい」という気持ちは、ときには人生のスパイスにもなり、向上心のもとになるかもしれません。でも、いくらおいしいスパイスでも、かけすぎれば料理の味は台無しになってしまうのと同じように、比べあいをしすぎると人生は地獄へまっしぐら…。”

まさにそのとおりだと、私は思いました。

「比べたがり」の心は、簡単には変わらないかもしれません。

それでも、「今、他人と比べてる自分、ちょっと滑稽だな」と、自分を客観視してクスッと笑えるようになれたら、心が少しラクになるような気がします。

そんなふうに、読者の心をふわっと緩めてくれる、そんな素敵な一冊です。